恋は世に連れ…
古典芸能のミカタ(第四回)ー江戸の恋愛事情 Part.1ー
大和撫子たるもの、日本文化・芸能を知らずしてどういたしましょう。
と、いうことで、カルチャー連載の名にふさわしい^ ^連載がスタート♪
案内役は、出版界きってのカルチャー男子でもある中井仲蔵パイセン。
歌舞伎・浄瑠璃・能・狂言・現代劇の舞台はもちろん、最新の公開映画から宝塚歌劇
まで、あらゆる舞台演劇エンターテイメントに精通している仲蔵さんだからこそ、
難解なイメージの古典芸能もライトな切り口でわかりやすくナビゲートしてくれるはず。
第四回目のテーマは、江戸に咲いた恋の華。意外にも欲望にどストレートだった
「江戸の恋愛事情」についてです。
今回は歌舞伎や文楽の作品を通して、江戸時代の恋愛事情について考察してみようと思います。
とはいえ、おそらく皆さんが考えるような恋バナにはならないであろうことを、先におことわりしておきますね。
というのは、21世紀の現代と江戸時代とでは、恋愛観がずいぶん違うからです。
いや、そもそも「恋愛」という概念は、中世の日本にはなかったようなんですよ。
あれは文明開化のときに、西洋からキリスト教だのギリシャ哲学だのと一緒に持ち込まれたもので、
江戸時代に日本人を律していたのは忠義孝行だの義理人情だのといった価値観でした。
これは立川談春が「紺屋高尾」という噺のマクラで言ってたのを聞いただけで、原典にはあたってないのですが、
実際に明治の文学者・二葉亭四迷は、「I love you」を当時の日本語に訳す際、ぴったりな言葉が見つからず、非常に苦心したという逸話があります。
で、なんとか「あなたと一緒に死んでもいい」と訳してお茶を濁したんだとか。
もちろん、江戸時代以前の日本人にも、異性を愛おしく思う気持ちはありました
(さらには同性を愛おしく思う気持ちもありましたが、この稿の本筋から外れるのであえて割愛します)。
当然、その感情を表す言葉もありましたが、それは「恋愛」ではなく、「色恋」と呼ばれていました。
では、「恋愛」と「色恋」の違いは何でしょうか。
両方とも、男女がお互い恋い慕う感情のことですが、ざっくり言うと、そのうちセックスの要素がつきものなのが「色恋」。
セックスのない恋愛はアリですが、セックスのない色恋はナシ、ということです。
月9でも少女漫画でもハリウッドのラブコメでも、今どきの恋愛ドラマ作品を思い浮かべてみてください。
最近はずいぶん性的な要素もオープンに描かれるようにはなりましたが、プラトニック・ラブというんでしょうか、
いまだに全編を通じてまったく恋人たちの肉体的接触が描かれない作品は珍しくありません。
これはつまり、(すべてとは言いませんが)現代の恋愛ドラマのほとんどが、主人公の男女が結ばれるまでの過程が主題になっているからです。
「セックス抜きでも恋愛は成り立つ」……と現代人は無意識に思っていて、それが反映されているわけです。
ところが江戸時代の戯曲では、「愛し合う男女は当然、セックスする」という前提で描かれているんですよね。
いやむしろ「恋=セックス」と言ったほうがいいでしょうか。
ここでは「肉体関係抜きの恋愛」は成立していません。
おそらく、江戸時代の人が現代の恋愛ドラマを観たら、
「まどろっこしいことをいつまでもやってんだ」と思うはずです。
↑お軽と勘平のロマンスは、豊国ほかさまざまな画家が好んで取り上げた題材だった
実際に江戸時代の作品を見てみましょう。
たとえば、名作中の名作と名高い『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』。
ここには、「お軽と勘平」という恋人たちが出てきます。十一段目まであるこの作品の中で、勘平は五〜六段目の主役。
目鼻立ちのスッとした色男という設定です。
一方のお軽は、色気と可愛らしさを兼ね備えたキャラクターで、七段目では大活躍をします。
この2人はもともと、武士と腰元という、同じ殿様に仕える同僚で、いわば「社内恋愛」をしています。
今も同じ会社内で付き合っているカップルは、まわりにバレないよう細心の注意を払うそうですが、発覚しても、せいぜいどちらかが左遷に遭うくらいで、罪に問われるわけではありません。
でも、江戸時代に武士が腰元と深い関係になるのは、ことによっては首が飛ぶような大ごとでした。
とはいえ、タブーがあるほうが男女の色恋は燃え上がるようです。このお軽と勘平も、勤務時間中にバッタリ会ったのをいいことに、
「ちょっとだけならいいじゃない」とお軽のほうから勘平を誘い出し、お城を抜け出すシーンが三段目で描かれます。
職場を離れてしまったそのせいで、後に2人はたいへんな悲劇を招き入れてしまうのですが……それはまた別な話。
ともかく恋人たちは逢い引きするわけですが、逢い引きといっても、お堀端を散歩しながらおしゃべりするようなデートではありません。
人通りの少ない物陰で2人、しっぽりと愛を交わしちゃったりするのです。
今でいうと、サラリーマンとOLが、「営業に行ってきます」と職場を抜け出して、仕事中にラブホテルにしけこむようなものでしょうか。
現代の月9ドラマで、主役の美男美女俳優がそんなことをおっ始めたら、おそらく視聴者は「なんじゃこりゃ」と思うことでしょう。
昔気質の人なら「ふしだら」とか「ハレンチ」というかもしれません。
でも、この戯曲が発表された300年前の日本では、「愛し合う2人がことあるごとにセックスをしたくなるのは当たり前」と捉えられていたようなんですよね。
同じく名作のほまれが高い『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』も見てみましょうか。
平安時代を舞台にしたこのドラマには、やんごとなきご身分のカップルが出てきます。宇多天皇の三男である斎世(ときよ)親王と、
「天神さん」としても知られる学問の神様・菅原道真公の養女である苅屋(かりや)姫です。
↑人形浄瑠璃の『菅原伝授手習鑑』(『加茂堤の段』)
舎人の桜丸と妻の八重が、牛車の中のカップルを見守る
劇中ではこの2人は、まだ10代。少女漫画の登場人物と同じような年頃です。
この2人は出会ってすぐ恋に落ちるのですが、その後、恋のかけひきだの、初めて手を握ったときのドキドキだの、
ライバルとの恋の鞘当てだのが描かれ……ることはまったくなく、初デートでいきなり牛車の中に閉じ籠もります。
もちろん、その中でゆっくりおしゃべりしたり、百人一首で遊んだりしているわけではありません。
今でいうと、さしずめカーセックスってヤツでしょうか。まだ子どものくせに、一丁前にコトに及んだりするわけです。
さすがに2人が愛を交わすシーンがズバリ描かれることはありませんが、この逢引をセッティングした舎人(とねり=牛車を引く仕事の人です)とその奥さんが、2人の乗った牛車を外から眺めながら、「アレが終わった後に必要でしょうから。ふふふ」と気を回して、わざわざ水を汲みに行ったりする描写もあって、今観てもずいぶんと生々しい演出です。
若いカップルと、その2人の恋を暖かく見守る若い夫婦……
という図式は今の少女漫画にも出てきそうですが、さすがにカップルがパコパコやる手助けまではしないんじゃないかしらん。
かように、江戸時代の恋愛はセックスとダイレクトにつながっており、また当時の人は性に対して寛容だったようです。
歌舞伎・文楽の恋愛事情というテーマについては、まだまだ書き足りないので、次回にまた。