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〈恋の罪〉はエンターテイメントにはなり得ない

―小室哲哉さん引退劇に思う、近年の“不貞騒動”について―

ゴシップにはあまり興味がなく生きてきましたが、
この一連の騒動は本当にショックで、考えさせられました。

それぞれが自らを律しながらも、人の弱さに寄り添う優しさと強さを持てたら……。
こんなに殺伐とした世界も少しは変わっていくのでしょうか。

淑女のみなさん、こんばんは。

みなさんは、好きになってはいけない人を好きになったことはありますか?

ここ2年ほどでしょうか。
著名人の方の不倫恋愛騒動が大きく報道され、世間を賑わせるようになってきました。

性についてはわりと大らかといわれる日本のこと。
こんなにも芸術芸能・もしくは文化に関わる社会的影響の強い人に対して“聖人君子”であることを求め、批判的な社会になったのは、物心ついて初めてのような気がします。

もちろん、不倫=婚姻関係にある夫婦・家族に割って入る行為であり、それ自体はよくないこと。

パートナーの人格や人生を傷つけることは悪であるし、まして、子供から父親・母親を奪うことに繋がる行為は罪である、という事実は明白です。

これを前提に、自らを律して生きておられる方、生きていきたいと思っていらっしゃる方がほとんどでしょう。

ですが、愛の形は本当に様々です。

ある程度年齢や経験を重ねていけば、そこには綺麗事だけではない、生々しい、当事者にしか決してわからない想いがある、ということも理解できるはず。

そういった状況で、人生をより幸せに生きるために、もしくは救いを求める状況で人は恋に堕ちることもあるのではないでしょうか。

もしかしたら、傷つく(とされる)側の方にすでに相手に対する愛情そのものが消えてしまい、ただ搾取するだけの寂しい関係性になっている場合もあるでしょう。

また、夫婦・家族という形の信頼関係はあるけれど、お互いがお互いに第三者との恋愛を認めている、それによって家族の関係は揺らがない、という契約結婚に近い夫婦のかたちもあるでしょう。

また、今回の小室さんのように、ある状況により身体・精神ともに男女の関係は無きに等しいものとなり、家族としての愛情や関係性を継続するため、また安定した精神状態でいるために、やむにやまれず、別の方に癒やしを求めることもあるのかもしれません。

これは、良い、悪いということではなく、事実としてあること

100組の男女がいれば100通りの愛の形があると思います。
そんな微細かつ繊細な事情を、赤の他人が100%知りうることは出来ないはず

そういった様々な他人に計り知れない前提において、欠落したものを埋めるために、道ならぬ愛が芽生えなくてはならない大事な存在が生まれてしまったのだとしたら……。

現状の殺伐とした暮らしでは手に入らない暖かなぬくもりに思わず手を伸ばしてしまうこと。
そういったハプニングや弱さというものの表出が、ときに人生には起こり得るものなのではないでしょうか。

 

いま、メディアの加熱する報道に乗じて、批判的な思いを抱き、発言している方々。
そういった方々は、ご自身の人生には決してそういうことが起きない、という前提なのかな、と不思議に思うのです。

ごくまれに、ご自身に過去に不貞疑惑があったにも関わらず、優等生的な発言をいらっしゃるコメンテーターの方もいらっしゃいます。

また、婚姻関係による経済基盤を失うことで自らの承認欲求のありかが奪われる、という恐怖から過剰なバッシングをしてしまう弱い立場の女性も(もしかしたら男性も)いるかもしれません。

自分にはそんなこと、金輪際決して起きない!

そう断言出来る清廉な生き方を出来る方、していらっしゃる方は素晴らしいです。

ですが、そういった“正しさ”を、”それが出来ない人”への批判として、厳しい言葉を鞭打ちのように浴びせることで表現することだけが正しいのかは疑問です。

その“正しさ”は、自分の中の確固たる信念として、強く静かに持ち続ける、ということではいけないのでしょうか。

実際には、そういった強さをなかなか持てない、ある種人間らしい弱さを秘めた人が大多数でしょう。

不貞は、殺人や窃盗などの犯罪行為とは違います。
〈恋の罪〉というものがあるならば、罰は自分自身が感じ、贖うもの
決して人に負わされるものではないと思うのです。

 

 

変な言い方ですが、本来、婚外恋愛を継続し全うするには、怖ろしいバイタリティが必要なはず。

◎全てを敵に回しても、という激しい思い
◎社会的制裁からすらも逃げない強さ
◎迷惑をかける対象に対して責任だけは遂行する、という行動力
(そこにはある種の資金力も含まれるかもしれません)

それら全てが伴って、初めて新たな愛が静かに実るもの。

相当な覚悟を持たなければその愛を貫くことはできないと思います。

そして、もしそういった覚悟がないのであれば、安易に不貞を働くべきではないでしょう

口先では運命の恋だ、宿命の愛だといっても、他人のバッシングで潰れてしまうならそこまでのもの。
“ゲス不倫”という言葉通り、単に快楽・娯楽としての性に過ぎません。

出来ればそんな苦しい恋ではなく、最初から幸せなゴールが当たり前に目指せる相手を選ぶのが一番です。

 

ですが、だとしても、人の恋愛や価値観を、他人がとやかくいうべきものではないでしょう。

数年前からの様々な不倫報道、それぞれの事情は関係なく、なぜか許される人と許されない人のメディアの忖度加減……。
ずっと虚しいような、不思議なような気持ちで傍観していました。

そして、今回の件で改めて〈何もかもを露わにして暴くことだけが正義〉なのかな、と深く感じたのです。

これは『人が人を裁けるのか』、という根源的・哲学的な問題でもありますが、そんな大上段に構えた話はさておいても、先日の某週刊誌による〈小室哲哉さん不倫疑惑スクープ〉と、それにともなう引退劇は、90年代に青春時代を過ごした身としては、充分に衝撃的なものでした。

おそらく今回の場合は、週刊誌による不貞騒動だけが引退に結びついたとは言い難いほど複雑な状況があったようですが、引き金になったのは間違いありません

アラフォー世代の青春時代を彩ったであろうTK MUSICといわれるヒット曲の数々。(最近は『仮面ライダービルド』のテーマ曲もヒットして、小室第二世代が生まれかけていた矢先のことでもあります……)

そのサウンドにはどこか、全てが終わった後の〈未来のとある地点〉から〈今現在の瞬間〉に懐かしく思いを馳せているような“せつなさの音階”ともいうべき魅力を感じます。
転調を繰り返していく独特の展開
や、小室Englishとも称される、英語の分からない日本人にもなぜか伝わる和製英語を多用した歌詞が聴けなくなるのは、とても寂しい限り……。

多くのアーティストと言われる方々(作家や音楽家、小説家や映画監督、美術家や役者さんなどなど)は、そのどうしようもない人間の弱さや、やり場のない思い、禁断の恋、胸の高まりを体感し、それを芸術に昇華してきたはずです。

だからこそ、多くの人の心を打ち、共感を呼ぶ作品を生み出せたのではないでしょうか。

清廉な正義にも増して、人の弱さというものに寄り添う優しさを手放せないのが日本人の誇るべき“惻隠の情”ともいうべき美徳のはず。

これ以上、週刊誌発の悪意あるゴシップで人生の大事なものを失う被害者が出ないことを祈るばかりです。

 

何はともあれ、愛を継続するにはブレない強さが大事!

愛する人の弱さにはとことん寄り添い夢を応援し、愛の精度を高めること。
もしもその愛が消えてしまったならば、関係に自ら終止符を打てる強さ(自立・自活力)を身につけること。

そして何よりも、自分の人生における行動の責任はすべて自分で背負う覚悟を持つこと”

そんなことを痛感したトピックでした。

打矢 麻理子

SEIReN編集長

打矢麻理子

様々なジャンルの女性ファッション誌や、ビジュアルブック、書籍制作などの経験を活かし、編集者として活動中。2017年に出版社の編集事業局取締役社長を経て独立。クリエイターチーム「Lilith Edit」、メディアプロジェクト「SEIReN」を主宰。

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