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哀れを愛でる…恋の道行

古典芸能のミカタ(第五回)ー江戸の恋愛事情 Part.2ー

大和撫子たるもの、日本文化・芸能を知らずしてどういたしましょう。
と、いうことで、カルチャー連載の名にふさわしい^ ^連載がスタート♪
案内役は、出版界きってのカルチャー男子でもある中井仲蔵パイセン。
歌舞伎・浄瑠璃・能・狂言・現代劇の舞台はもちろん、最新の公開映画から宝塚歌劇
まで、あらゆる舞台演劇エンターテイメントに精通している仲蔵さんだからこそ、
難解なイメージの古典芸能もライトな切り口でわかりやすくナビゲートしてくれるはず。
第五回目のテーマは、前回に続き、「江戸の恋愛事情」。
勧善懲悪では描かれなかった恋の道行のお話です。

のっけから古典芸能とは関係のない話から始めて恐縮ですが、スタン・リーというコミック界の重鎮をご存じでしょうか。

『スパイダーマン』『Xメン』『ハルク』『ソー』『アイアンマン』『アベンジャーズ』などなど、すごい数の傑作を送り出したマーベル・コミックス社の原作者兼編集者で、アメコミ界では超のつく大物です。

最近のマーベル・コミックスの映画化作品では、必ずチョイ役で1シーンだけ出演しているので、顔を見たら「ああ、あのお爺さんね」と思う映画ファンも多いんじゃないでしょうか。

 

さて、そのスタン・リーですが、さるインタビューで「性善説と性悪説、どちらを信じますか」と聞かれて、次のように答えています。

「そりゃもちろん、性善説だよ。だってコミックブックを見てごらん。最後はハッピーエンドになるだろ?
読者はみんな、正義の味方が勝って、悪いやつが倒されるのを求めているんだ」

……ちょっと昔の海外ドラマのような翻訳口調になってしまいましたが、ま、どんな物語でも、勧善懲悪というか因果応報というか、「いい人は幸せになり、悪い人は不幸になる」という結末が求められているというわけです。

 

これは日本でも同じです。

たとえばお伽噺の『花咲か爺さん』を思い起こしてみてください。
「ここ掘れワンワン」とか「枯れ木に花を咲かせましょう」っていうアレのことです。
皆さん、ストーリーはご存じですよね。

この物語でいうと、主人公のお爺さんは正直で動物愛護の精神に溢れる人物で、愛犬を隣人に殺されるという悲しみを乗り越え、最後は奇跡を起こして殿様から褒美をもらいます。

「人柄も行いも良く、おまけに苦しみまで味わったのだから、幸せになってしかるべきだ」
と読者が無意識に望んでいるのに、作者が応えている結末です。

 

一方、隣りの意地悪爺さんは、人格が歪んでいるのみならず、動物を虐待の末に殺してしまうような極悪人です。
撒いた灰が殿様の目に入った咎で、最後はこっぴどく罰を受けるのも当然、と読者は思うのも自然なことでしょう。

 

かように、「御伽草子」が書かれた室町時代でも、読者は「悪いやつには罰を! 正しき者には幸福を!」と思っていたわけですが、ここでややこしいのが犬のシロの立場。

主人に幸せをもたらす忠犬にもかかわらず、意地悪爺さんに虐待のすえ殺されてしまうのですから、現代人の目から見たら救いがありません。

 

でも、中世の価値観は現代とまるっきり違っていました。

忠義孝行という概念が人権などよりよっぽど重要だった時代には、自分の死によって主人が立身出世したのは何よりも名誉なことだったのを考えたら、シロの死は決して報われないものではありません。

意地悪爺さんに殺されちゃうけど、忠犬のシロも最後は幸せになるというわけです。

洋の東西や時代を問わず、物語には普遍的にある「悪は滅び、正義は勝つ」という概念。
これを便宜的に、「勧善懲悪の法則」と読んでおきましょう。

 

あ、もちろん、世の中の不条理を訴えるのがテーマの作品内では、善人が悲惨な目に遭うことも少なくありません。

戦争映画でよくある、決戦の前夜に「この戦争が終わったら故郷に帰って妻と娘に会うのが楽しみだ」なんて言ってる兵士が敵の砲撃であっさりと死んじゃったりするくだりなんかがその王道パターンでありますよね。

あれは、戦争の悲惨さを伝えるためにあえて定石を外しているわけです。

この「勧善懲悪の法則」は、戦争映画のほかでもよく適用されていて、絶望を煮詰めて佃煮にしたような話でも、それなりに希望が持てるような終わり方をするものです。

そうしないと収まりが悪いんでしょうね。

 

さて、この勧善懲悪を別な角度から見てみましょう。

「悪いことをした登場人物が最後に不幸になる」という物語は、言い換えると
「ある登場人物が最後に不幸になったのは、悪いことをしたから」でもあります。

当然、この「悪いこと」という価値観は、地域や時代の文化によって違ってくるので、外国の作品や古典作品を分析する際のヒントになります。

前述の『花咲かじいさん』の例でいうと、シロの扱いに違和感があるとしたら、それは現代と中世で価値観が違っているからなのです。

 

前置きがずいぶん長くなりましたが、ここからが本題。

 

今回は引き続き「江戸時代の恋愛事情」について書こうと思うのですが、上記の「勧善懲悪の法則」を、歌舞伎や文楽など江戸時代に描かれた恋愛ドラマに当てはめてみると……

驚いたことに、恋をする男女はことごとく不幸になっていることに気づいてしまいました。

 


↑6代目尾上梅幸と、15代目市村羽左衛門によるお軽と勘平(1927年)。
この2人は私生活でも深い関係で、お墓は雑司ヶ谷霊園に並んで建てられています。

 

第四回目で書いた『仮名手本忠臣蔵』お軽と勘平でいうと、お軽は愛する勘平が仇討ちに参加する費用を捻出するために、京都の遊郭に身売りするのですが、勘平はお軽と別れた数十分後には、些細な行き違いが原因で切腹して果ててしまいます。
可哀想に、お軽は勘平が死んだことも知らないまま、いつか最愛の夫と再会する日を夢見て苦海に身を沈めるわけです。

 

同じく、前回取り上げた『菅原伝授手習鑑』の苅屋姫(かりやひめ)の場合は、斎世親王(ときよしんのう)と駆け落ちしたのがバレてしまい、むりやり別れさせられてしまいます。

さらに、二人のロマンスを藤原時平(ふじわらのしへい)という仇敵に悪用され、義父の菅原道真(すがわらのみちざね)は謀反の疑いを掛けられて、九州・太宰府に島流しに遭います。道真の跡取りの菅秀才(かんのしゅうさい)も命を狙われ、それがきっかけで後に数々の命が奪われてしまいます。

これらはすべて、「苅屋姫が恋さえしなかったら起こらなかった」と、劇中でも言及されるのですから、本人にしたら針のむしろでしょう。

 

その他、元禄時代には、「日本のシェイクスピア」こと近松門左衛門が実際に起った事件をもとにした「心中モノ」と呼ばれるジャンルの作品を大量に発表しましたが、これらはお察しの通り、カップルが心中するのがクライマックス。

当時の価値観では「生きているより、死んで名誉を晴らすほうが重要」ということもあったようですが、それでも死なないで済むなら、そのほうが絶対いいですよね。

現代から見たらささいな理由で、まだうら若き恋人たちが、バッタバッタと死んでいくのです。

 


↑2017年2月の東京公演は、近松門左衛門特集で、心中モノが2本、上演されました。

 

時代が下って、『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』は、明治6年に初上演された作品ですが、時代設定は江戸時代。
明治とはいえ、作ってる側にも観ている側にも、江戸時代はほんの数年前でした。

で、この作品には、豪商の娘でお熊ちゃんというのが出てきます。彼女は店の従業員と恋をしており、駆け落ちを計画しています。それにつけこむのが、新三(しんざ)という髪結の男。

このキャラクターは主人公のくせに悪人で、お熊ちゃんを騙して誘拐し、挙げ句には強姦や緊縛や監禁の憂き目に遭わせるのです。
彼女は実家に身代金を払ってもらって、ようやく開放されますが、そんなひどいことになったのは、
「大店の跡取り娘なのに、店の手代と身分違いの恋をしてしまったから」という罰としか思えません。

 

そんな中、いちばん悲惨なのは『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』お三輪ちゃん

彼女は町の酒屋の娘で、ふだんも「○○してけつかる」なんて言うような、あまり育ちは良くない身分の子なのですが、たまたま近所に住みだした求女(もとめ)というイケメンの職人と知り合いになり、すっかりのぼせ上がってしまいます。

実はこの求女、本当は藤原淡海(ふじわらのたんかい)という貴族で、宿敵の蘇我入鹿を倒すために正体を隠して市中に身を潜めていたのです。

さらに、淡海には橘姫という許嫁がすでにいます。
この橘姫は、お三輪が逆立ちしても足元にもおよばない上流社会に属する、文字どおりのお姫様。
身分だけでいえば、淡海とは釣り合いの取れたお似合いのカップルです。

そのことを知ったお三輪は、諦めるどころか嫉妬に燃え、淡海を追いかけるのですが、ようやくたどり着いたお屋敷で、淡海の部下・鱶七(ふかしち)に、突然ズブリと刺されてしまいます。
なんでも敵役の蘇我入鹿には妖力があって、それを破るには「嫉妬に狂う女の生き血」が必要だったんだとか。

そのためにお三輪ちゃんは刺されてしまったのです。

もちろん、今どきの献血と違い、50ccだけ血液を抜くというわけにはいきません。
腹部に致命傷の傷を受け、流れ出た大量の血を奪われ、息も絶え絶えになるお三輪ですが、そんな彼女に、”下手人”の鱶七は、「これであなたの命は淡海様のお役に立てますな! あなたの生き血のおかげで、敵討ちができます。あなたこそが、淡海様の正妻ですよ!」

とおだてあげます。

それを聞きながら息を引き取るお三輪ですが、劇中では幸せそうに死んでいきました。

もちろん、現代の観客からすれば悲惨すぎて声も出ないシーンです。


↑2012年に『妹背山〜』でお三輪を演じた坂東玉三郎。
本当はこの時期、市川海老蔵がテアトル銀座で公演をするはずが、例の暴力事件でキャンセルになり、
代打で玉三郎が興行を打つことに。

 

かように、いろいろと例を挙げてきましたが、江戸時代に書かれた戯曲では、恋人たちラストで不幸になってしまうという傾向が非常に強いというのは、おわかりいただけましたでしょうか。

幸せになるカップルもいるにはいるんですが、たいていは(1)夫婦なり、(2)親が決めた許嫁……という関係。

前述の「勧善懲悪の法則」に当てはめると、江戸時代の観客は、自由恋愛を「悪いこと」だと思っていたとしか考えられません。

ハリウッドのB級スプラッタ映画で、連続殺人鬼の最初の犠牲者になるのはセックスしてるカップル……
という法則がありますが、江戸時代も同様に、乳繰り合ってる男女はけしからん……
と思われていたようなんですよね。

 

考えてみれば、日本で恋愛結婚がお見合い結婚より多くなったのは、昭和40年代のことだったとか。
皆さんのご両親はともかく、お祖父さんやお祖母さんの世代は、まだまだ恋愛結婚が少なかったんです。

そういえば落語なんかを聞いても、恋愛結婚をした人が「うちのはくっつきあいで……」
と、自分たちの馴れ初めをへりくだって語るシーンもあります。

 

どうやら「恋」というものは、江戸時代にはあまり褒められたもんじゃなかったようですね。

 



パート1を読む

パート3に続く

 

中井 仲蔵

編集者/コラムニスト

中井仲蔵

中井仲蔵 (なかいなかぞう) 昭和43年生まれ。普段は都内の中堅出版社で働くが、たまにコラムニストとして映画や演劇について語ることも。独身。長男。花粉症。

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