老いたナルキッソスは何を想う―
ー『オカマルト−おかまとオカルトの古本屋』さんと〈老いらくの恋〉ー
以前事務所にお邪魔して、その圧倒的なマニアックさと魅惑の変態指数に度肝を抜かれた編集ライターの福田光睦さん。
彼の書いた記事を読み、そのお店の存在を知って以来、どうしても行ってみたかった……というか、店主のマーガレットさんにお逢いしてみたかった古書サロン『オカマルト』。
先日ご紹介頂いた業界の大先輩がちょうど行かれるというので、ちゃっかり便乗。念願叶い、初めてお邪魔してきました♡
淑女のみなさま、こんばんは。
みなさんは、恋をしていますか?
仕事が忙しくてそれどころじゃない…
若い頃みたいにいちいち傷ついていられない…
すっかり恋から離れてしまった人、もしくは、今まさに幸せな恋愛の真っ只中にいる方もいるかもしれません。
かの大岡越前守の母上は『女は灰になるまで』なんて粋なニュアンスを漂わせたという逸話もありますが、実際のところ、どうなのか。
人はいつまで恋をし、身体ごと愛し合うことができるのでしょうか。
結局人それぞれなんじゃない?
なんていわれてしまいそうだけれど、もし性機能というものが少しずつ衰えていってしまうものなのだとしたら……。
そうした衰えの先にもお互いに『この人を抱きたい、触れたい』という気持ちが残っていているって幸せなことだな、と思うのです。
セックスという即物的な運動能力がなくても、身体の奥から愛し合えるような、相手の醜さや弱さまで含めて、その人の人生まるごとを抱けるような身体の繋げ方。
普通のやり方ではなく、ふたりだけの特別なやり方で、お互いを快楽に導き、安心して眠れる世界をつくりあげられたら素敵。
そんなことを思ったりしていたつい先日…
ずっとお邪魔したいと思っていた二丁目の古書サロン『オカマルト』さんにお邪魔する機会がありました。
そこで、店主のマーガレットさんに、一枚の映画鑑賞会のフライヤーを頂いたのです。
映画のタイトルは『老ナルキソス』。
主人公は、老人となったひとりのゲイ。
過去には、自らの若さと美しさで欲望を引き寄せ生きてきた彼。
年老いたいま、若い男の残酷な視線を感じながら、老いという現実に直面して何を思うのか。
『性を媒介として生を生きてきた私たちが、歳をとることで、即物的な意味でのその欲が”失くなっていく”としたら……。
どんな風に変容して生きていくのか、って思うじゃない?』
穏やかな語り口ながら核心をつくマーガレットさんの言葉に深くうなづくことしきり……。
ほんとそう思う!
これは、ゲイだろがノンケだろうが、同じく直面する問題。
女性誌の編集という仕事をしていたせいか、スタッフや友人含め、当たり前のようにゲイの方も多く、彼らの恋愛談義を聞くことも多かったし、時には女子会のようにお互いの恋愛について辛口の意見を言い合ったりしてきました。
でも、そういえばまだ、60歳を超えたゲイの友人はいないのです。
彼らは、生殖能力を持たない故か、性愛ということに関しては、男女の対よりもよりストイックさを感じる純度の高い関係を結んでいるようにも思います。
そんな彼らがもし年老いたら……。
前述の映画『老ナルキソス』の予告編でも印象的に使われていましたが、バロック時代のイタリアの画家、カラヴァッジオの描いた作品のなかに『ナルキッソス』という絵があります。
⇡ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作/『ナルキッソス』
(画像はWikipediaよりお借りしました)
若く美しい青年が眺めて居る水面には、自分の姿が映っている。
けれどこれ、反転させて見ると、到底同一人物には思えないほど醜く虚ろな表情の人物なのです。
これは、老いた姿の其の人が、在りし日の自分の面影を眺めているふうにも解釈できるとか…
さらには、ちょっと不自然なかたちで膝をついているのは男性器の象徴だとも言われているそう。
身体で惹き寄せ、身体で愛し合う。
同性愛には生殖という目的がない分、よりストイックな性愛関係で繋がっているとすれば、フィジカルが機能しなくなっていくときの虚無感は、異性愛の比ではないのかもしれません。
一方、異性愛の場合でいえば、男性に比べて、女性の方が身体的にもセックスそのものの手前に、愛だの恋だの感情を捏ね回しがち。
もちろん、一概には言えないし、男女逆な場合もあるだろうけれど。
男女関係なく、フィジカル優位ではなく、愛という概念に支配されがちな妄想力の高いタイプのほうが、もしかしたら機能的セックスを含まない恋愛にスッとシフトチェンジしやすいのかもしれない、とふと思ったのです。
言い換えれば、概念を掻き立てる力さえあれば、機能としての行為が失われたとしても、心でセックスし、繋がりあえる関係性を結べるのではないかと。
⇡ちなみに『オカマルト』さんで、美味しい紅茶と季節限定・バレンタイン仕様のチョコブラウニーを頂きました。いちごも乗ってたのですが、可愛くてつい撮る前に食べちゃったよね……(*´∀`*)
同性愛、異性愛問わず、人は老いると其の欲望は性愛ならぬ聖愛になるのか。
もしくは、そんな綺麗事ではない現実があるのか。
ー老いらくの恋。
少し哀しくもあり、なんだかちょっぴり楽しそう。
映画ではないけれど、老人の性を描いた文学作品といえば、不能老人が息子の嫁にフェティッシュな夢想をする『瘋癲老人日記』の谷崎潤一郎や、60歳近い小説家と年若い娼婦との色恋をアウトロー感漂う筆致で描いた『 濹東綺譚』の永井荷風の作品が浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
けれど、忘れちゃいけないのがそんな思いっきりエロスなふたりよりも、密やかに官能的な作品を残しているのが川端康成。
薬で眠らされた秘密倶楽部の美少女と添い寝する老人を描く『眠れる美女』はもちろんのこと、処女の片腕と添い寝する老人が主人公の『片腕』という掌編もなかなかに変態指数高め。
フェティシズムの物語でもありながら、老いた性のセンシュアルさの表現が淡々として凄まじく、まだ性愛の欠片も理解していなかった幼心に衝撃を受けたものです。
このあたりの作品群のシュールさやパーツ愛の炸裂感、秀逸怪奇な妄想力こそ川端康成の真骨頂であり、ノーベル賞ものだと思うのは私だけでしょうか。
川端康成って『雪国』のおじいさん作家でしょ。
教科書チックでつまらない……
そんな先入観のある方にぜひおすすめしたい川端官能文学です。
実際、心身ともに成熟した後の恋とはどんなものなのでしょう。
イマドキなことをいえば、人生100年時代。
ちょっと先の未来を楽しみにしつつ、出来ることならもっと奥深く、深淵を知ることができるように妄想力を高めておきたいなーと思う今日この頃です。
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