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龍神と生贄の、運命の恋。

神々と寝た女 -逢魔が刻の過ぎぬ間に- Vol.1 長野県・黒姫伝説

日本、および世界の各地に伝わる民話や伝承には「荒ぶる龍神」と、そこに生贄として捧げられる美しい姫が多く登場します。
自然と共に生きる時代の人々にとって、龍神は恵みをもたらす水の神であると同時に、嵐や洪水、土砂崩れを起こす災害の象徴でもありました。
「女」が家を守るための道具のような扱われ方をしたこの時代、神の怒りを鎮め、集落が生き延びるために女の命が捧げられたのは仕方のないことだったかもしれません。
しかし――どんな時代のどんな状況にあっても、女は女として幸せを求め、逞しく生きる姿もまた、そこにはありました。

信濃の国の中野志賀山の山麓は、高梨摂津守政盛という城主の治める土地であった。

高梨の姫・黒姫の美しさは、信濃の国だけでなく京の都にまで音に聞こえるほど。それを聞き及んだ時の将軍・足利義尚により、黒姫は侍女として召し抱えられることになる。

黒姫がこのことをどう思っていたかはわからない。
しかし、父の摂津守高梨にとってはこの上なく名誉なことであっただろう。
そしてそれは、この時代の女性にとっては、最高のキャリアパスでもあった。例え、それが自身の「女」を取引するようなものだとしても――

ある日のこと。
高梨は黒姫や家臣団を伴い、志賀の山へ花見へと出かけた。
風光明媚なる大沼池の花を愛でながら宴に興じていると、その席に一匹の白蛇が迷い込んでくる。

「宴の楽しさにつられてやってきたのだろう。黒姫や、あの蛇にも酒杯を差し上げなさい」

上機嫌の高梨は黒姫に言った。
心優しい黒姫は蛇に怯えることなく、にっこり笑って酒杯を蛇へと勧めたところ、蛇はそれを飲み干し、去っていったという。

その日の夜。
寝室で眠りにつく黒姫の枕に、何者かが立った。

「そなたは誰ですか?」

問う黒姫に、その男は面を上げる。

「昼間、貴女様より杯をいただいた者にございます」

そこにいたのは、狩衣を身に纏った小姓の若者であった。
その肌は昼間の白蛇のように白く、美しく、そしてその姿は気高さを纏っていた。

この時代、女の寝室へ男が夜中訪れる「夜這い」という行為は、ごく一般的なことだった。
もちろん、女の側には男を拒否する権利がある。そして、高貴な家に夜這う場合、男は斬り捨てられても文句を言えないリスクを背負う。女性の結婚は家同士の繋がりの手段、生存戦略の一環であったが、それとは切り離された男女の恋愛もまた、存在していたのだ。

言い伝えには諸説あるが、黒姫は「その小姓の美しく高貴な姿に心惹かれた」と伝えるものが多い。
つまりこの夜、黒姫は白蛇を受け容れたのだろう。

「貴女をこのまま、志賀の山へとさらっていきたい」

小姓の姿の白蛇――彼の正体は、大沼池に棲む龍だという。

「そなたにとって、きっとそれは容易いことなのでしょうね」

黒姫もまた、龍に心惹かれていたのだと伝説は語る。
如何に将軍とはいえ、見も知らない京の都へ、何人もいる侍女のひとりとして召し抱えられるより、たった一杯の酒杯に感激し、危険を顧みず自分の元へ夜這って来た、純朴で率直で、そして人ならざるこの男に――いや、それは人ならざるが故か。

「そなたとこのまま一緒になれれば、どんなにか幸せでしょう……」

それはしかし、黒姫にとって叶わぬ願い、実らぬ恋であった。
ふと気がつくと、若者の姿は寝所から消え、その後には、鏡が一枚、残されていた。

 

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永澄輝井

作家・ライター

輝井永澄

ゲームクリエイターとして活躍後、執筆活動を開始。 SFやオカルトのようなエンターテインメント性の高いものを主軸としながらも、民俗・文化・文明社会の中に現れる人間の普遍性を見出そうとする作品を展開。

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