美しき品格につき纏う悲しみと絶望の匂い。
極私的Beauty ―夜に纏う香りと映画の物語― Vol.2− CARON(キャロン)「Le Narcisse Noir ナルシス・ノワール」×「黒蜥蜴」
異常な香水好きが昂じて、映画を観るたびに「この主人公、こんな香りがしそう」「此の時代のいい女の匂いはコレに違いない」と、勝手な妄想を膨らませております。初対面の人は匂いで覚え、目隠ししてても匂いだけで誰が近くに来たか当てられる、そんな変態的な性癖からなる、"個人的妄想”を映画のストーリーにのせてお届けします♡
突き刺すような暗い影を感じた後、穏やかに広がる白檀の香り。
今夜の香りは、1911年のキャロンの銘香、ナルシスノワール。
調香師はキャロンの創始者、エルネスト・ダルドロフ。
少し渋いほどの強烈なシトラスの香りとオレンジブロッサムが
ほのかに漂うなか、妖艶で甘い香りがほんの少し揺らめきながら顔を覗かせる。
ミドルノートで香るのは、吸い付くようなアニマリックさを感じる
黒水仙、黄水仙と薔薇、ジャスミン。
ベースのシベットやムスクと絡み合い、複雑な表情をみせる。
こんなにも華やかな花たちが香りながら、静かで陰鬱なイメージすら感じる。
白檀がすべての香りを包み込み、夜の底に沈めこんでいるような、
もしくは、ゆっくりと効いていく静かな毒薬のような美しい香りである。
水仙というのも不思議な花である。
凛としているのに、どこか淫らに佇んでいる。
それでいて、清楚なのにどこまでも汚れていけそうな強さもある。
しっとりと寄り添った夜には淫らな雫を垂らしていても
朝になればどこか素っ気ない風情で風に吹かれている
誇り高い女のようでもある。
白水仙、黄水仙はあれど、
黒水仙はこの世には存在しない。
私が思う、此の香りが似合う女の人、といえば、
映画「黒蜥蜴」に出てくる女賊・黒蜥蜴(緑川夫人)。
冒頭のシーンに映し出されるオーブリービアズレーの「サロメ」の絵。
残虐さの中に切ないほどの美しさを秘めた世紀末の画家、ビアズレーの絵は、三島由紀夫が書き、美輪明宏(当時は丸山明宏)が演じ、深作欣二が描いたダークで耽美的な「黒蜥蜴」の世界観によく似合う。
漆黒のロングドレスを身に纏い、アンドロジェナスな魅力を湛えた女盗賊は、まるで自らの身体を墨のように真っ黒に染め上げた黒水仙のように美しい。
ギリシャ神話に登場する美少年・ナルキッソスは、
自己愛の果てに自らの姿に恋焦がれて絶命する。
死して尚、彼は水仙の花に自らの姿を変えて。
川面に映る自分の姿を眺め続けたという。
緑川夫人もまた、自らの美貌と知性と残虐さに酔いしれていた。
この世の”美”という”美”を支配しようと目論むまでになった
彼女の欲望は猟奇的なまでに肥大化する。
そんな彼女が、人生で始めて恐れたもの。
それは、名探偵明智小五郎への想いに身を焦がす自らの恋心だった。
まるで合わせ鏡のようなふたり。
黒蜥蜴は、明智探偵に自分の姿を重ねて見ていた。
そして明智もまたそんな彼女に惹かれていく。
いつも自信満々で、憎らしいひと。
他の男のように自分の思惑ひとつではどうにもならない。
ついに彼女は自らの残虐な野望を賭けて勝負に出る。
「追われているつもりで追っているのか
追っているつもりで追われているのか」
「法律が私の恋文になり
牢獄が私の贈り物になる
そして、最後に勝つのはこっちさ」
「あたしがあたしでなくなるのが怖いの
だから殺すの。」
燃えるような情熱を自尊心という冷徹な鎧で封じ込める
黒蜥蜴の姿はあまりにも哀しく、美しい。
女賊でありながら探偵に心を盗まれるという失態を犯した
女賊・黒蜥蜴は、彼女が唯一、愛した男の腕の中で息絶える。
「あなたの心はダイヤだった
ホンモノの宝石のような」
そうつぶやく明智探偵もまた、彼女のなかに
自分の姿を見ていたのだろう。
物語は悲劇のうちに幕を閉じるが、凄絶なる黒蜥蜴の美しさだけがやけにまぶたに焼き付く映画である。
キャロンのナルシスノワールが生まれた1911年は、乱歩が青春時代を送っていた時代。
日本ではフランス小説をもとにした「怪盗ジゴマ」などの盗賊映画が大ヒットし、江戸川乱歩もこれに心酔していたといわれている。
それが後に「黒蜥蜴」をはじめとする耽美的な探偵小説「黒蜥蜴」に繋がったのであろうか。
―うつし世は夢、よるの夢こそまこと―
かの江戸川乱歩が描いた幻惑の世界にふさわしい美しき香りである。