国を賭けた恋と、見守る女の憂鬱
神々と寝た女 ~逢魔が時の過ぎぬ間に Vol.2 古事記・シタテルヒメとアメノサグメ
古代、天の神が降臨し、地上の神々から日本の大地を譲り受けたという「国譲り」の神話。
その中には多くの神と、それに対峙する人々との関わり合いが描かれます。
天の神の使者として派遣された天雉彦(アメノワカヒコ)と、地上の大国主の姫、下照姫(シタテルヒメ)との悲恋は、昔から人々に親しまれた物語。
その中には、その恋を見守り、葛藤に苛まれたもう一人の女の物語がありました。
時は古代。
天照大神を始めとした天の神々が、葦原の中つ国――日本の大地へと降り立ち、大和の国を建国する最中の出来事。
日本の地を支配している国々に対し、天の神を受け容れるように説得するため、使者が派遣された。
出雲の国へと派遣されたのが、眉目秀麗な顔立ちに、神器たる弓矢を携えた若い男神、天雉彦(アメノワカヒコ)である。
出雲の国の大国主は、宮殿に小さな宴席を設け、ワカヒコをもてなした。
「私たちは天照大神の威光を大地にもたらし、日本の地に秩序を敷こうとしているだけです。この地を征服しようというのではありません」
そうやって説くワカヒコの言葉に、大国主はその髭を撫で、応える。
「この地にはこの地の暮らしがある。確かに我らは無秩序で野蛮かもしれないが、それでこの地の民が不幸だと思われますか?」
「それは……」
ワカヒコは、ここへ来るまでに見た国の様子を思い返していた。
混沌に覆われた大地に築かれた、野蛮な国だと思いこんでいたが、この地で目にした人々は素朴で笑顔に溢れ、里は平和だった。
ワカヒコの横から、酒が差し出された。
大国主の娘、下照姫(シタテルヒメ)がワカヒコの盃に酒を注ぐ。
日に焼けた褐色の肌に、生気の溢れた伸びやかな手足。ワカヒコへと真っすぐに向けられた黄金色の大きな瞳は、天の女神たちとは違った美しさを湛えていた。
「天の神の力をもってすれば、高天ヶ原から一歩も動かずにこの地を滅ぼすのも容易いことなのでしょうな」
大国主の言葉に、ワカヒコは戸惑い、シタテルヒメの顔を見、言った。
「……そういうことをしないために、私がここへ赴きました」
ワカヒコのその言葉に、大国主は笑った。
ワカヒコの傍らに、もう一人の神がいた。
天探女(アメノサグメ)。ワカヒコの補佐として、この地に共に赴いた女神である。
サグメは大国主とワカヒコのやり取りに、苛立ちを感じていた。
そもそも、ワカヒコの前任の使者もここに訪れてから連絡を絶っていたのだ。
大国主はワカヒコも懐柔するつもりだろうと、サグメは考え、警戒していた。
いざとなれば――サグメは懐の中に、仕込んだ短剣の束に、軽く手をかけた。
「宮をご用意しています。好きなだけご滞在ください。なにかあればこのシタテルヒメに」
大国主はそう言って宴席を立った。ワカヒコはその後ろ姿とシタテルヒメとを交互に見て、盃を飲み干した。