龍神と生贄の、運命の恋。
神々と寝た女 -逢魔が刻の過ぎぬ間に- Vol.1 長野県・黒姫伝説
日本、および世界の各地に伝わる民話や伝承には「荒ぶる龍神」と、そこに生贄として捧げられる美しい姫が多く登場します。
自然と共に生きる時代の人々にとって、龍神は恵みをもたらす水の神であると同時に、嵐や洪水、土砂崩れを起こす災害の象徴でもありました。
「女」が家を守るための道具のような扱われ方をしたこの時代、神の怒りを鎮め、集落が生き延びるために女の命が捧げられたのは仕方のないことだったかもしれません。
しかし――どんな時代のどんな状況にあっても、女は女として幸せを求め、逞しく生きる姿もまた、そこにはありました。
「……騙したのか!」
刀と槍に囲まれ、龍は叫ぶ。
「……許せ。人の世には、人の世の道理があるのだ」
「卑劣な……!」
家臣たちが龍に斬りかかろうとする。
「……人ならざる我が身なれども、人である黒姫のため、人の道理を通さんとした。それに対する仕打ちが、これか!」
怒りに震え、龍が叫んだ。
その怒りに応えるように、雷鳴が鳴り響く。
「人の世の道理がかようなものだと言うのなら! 貴様らには龍としての道理で報いよう! 志賀の山の四十八の池の水を、残らずこの里に落としてくれよう!」
龍はそう叫び、暗雲立ちこめる天へと舞い上がる。
既に空は嵐に荒れ狂い、豪雨が里を包んでいた。大沼池を始め、山の上の池が溢れ、洪水となって里を襲った。
「父上……どうして約束を守らなかったのですか?」
嵐の荒れ狂う城下を見つめながら、黒姫は高梨を責めた。
「これほどの力を持つ龍神が、あのように筋を通そうとする……その義心を、父上は踏みにじったのです」
「わからぬか黒姫! 人の世の政(まつりごと)は、義心ではどうにもならぬのだ!」
「わかりませぬ」
黒姫は城を出ていった。その手には、かつて龍が寝所に残した鏡があった。
「……惹かれあう心と、肌の熱さに背を向けるのが人の世だと言うのなら……人の世の理(ことわり)など、要りませぬ」
黒姫は嵐に向かい、鏡を掲げた。
暗雲が割れ、龍が姿を現した。
「例え約定を破り、理を通したものを罠にかけるような者たちでも、わたしにとっては家族であり、ふるさとです……このようなことが言えた身ではありませぬが、どうか、怒りをお鎮めください」
黒姫は龍の鼻先に触れながら、そう願った。
「さぁ……参りましょう」
龍は黒姫をその背に乗せ、天高く舞い上がる。暗雲が晴れ、金色の陽が降り注ぐ中を、龍は山へと向かい、飛び去って行った。
その後、その山は「黒姫山」と呼ばれ、大沼池には今でもその龍と黒姫が仲良く暮らしているのだと言う。今でも里の祭りには、黒姫が里帰りに訪れ、雨を降らすと伝えられる。
長野県上水内郡、志賀高原と呼ばれる土地で、人々に親しまれている物語である。
執筆者:輝井永澄(作家・ライター)
・輝井堂
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