閉ざされた花街の退廃に、梅の花のエロスを一雫
極私的Beauty ―夜に纏う香りと映画の物語― Vol.1 —TOM FORD「プラム ジャポネ」×映画「SAYURI」—
異常な香水好きが昂じて、映画を観るたびに「この主人公、こんな香りがしそう」「此の時代のいい女の匂いはコレに違いない」と、勝手な妄想を膨らませております。初対面の人は匂いで覚え、目隠ししてても匂いだけで誰が近くに来たか当てられる、そんな変態的な性癖からなる、"個人的妄想”を映画のストーリーにのせてお届けします♡
梅の花は、摘まれた瞬間に香りを変えてしまうといいます。
丸みを帯びた真っ赤な花弁が花開き、今まさに摘み取られる……。
その瞬間のクライマックスの香りを表現しているような、そんな華やかで官能的な香りです。
TOM FORDのプライベート・ブレンドから生まれた、Atelier d’Orientの4つの香りのなかのひとつ、「プラム ジャポネ」。
梅の花の甘く華やかな酸味を帯びた香りが通り過ぎた後に、ひっそりと訪れる静寂。
突き放すような冷たさではなく、温かなぬくもりを感じる静けさは、サフラン、ベンゾイン、ヒノキ、ヴァニラなどの鎮静効果のある香りと、基調低音となっている沈香(アンバー)に秘密がありそうです。
沈香の甘い陰鬱さを引きずりながらも穏やかな品格を感じさせる香り立ちは、オリエンタルで退廃的な和のエロティシズムそのもの。
プラム ジャポネ=日本の梅の花がテーマ、といいながらも、香りから漂うのは”日本”ではない。それは、外国人から見た、憧れのオリエンタル。
映画『SAYURI』で描かれる世界も、まさに異国から見た幻惑のジャポネです。
貧しさゆえに置屋に売られ、脱走にも失敗し、生き別れた姉とも会えずに橋のふもとで泣きながら佇む少女。
そこへ、芸者たちから”会長”と呼ばれる優しげな紳士が通りがかり、少女に真っ赤な梅の蜜をかけたかき氷を与えます。
蜜に濡れた唇が赤く染められ、微笑みを取り戻した瞬間、幼い少女は、再びその紳士に巡り逢うことを夢見て、芸者として生きる決意を固めることに。
女の諍い渦巻く欲望の世界で、芸者として登り詰める主人公のSAYURI。再びその紳士と出逢うことは出来たものの、すれ違い、様々な思惑が渦巻くなか、時代は流れ、大東亜戦争へ。
想いが結ばれることはない……。
そんな喪失の時を経ながらも、幼い頃から辿り続けた絆が、お互いに繋がっていることを知り、ふたりはようやく結ばれます。
けれど、例え愛する人と結ばれたとしても、妻にはなれない。繰り返される喪失を予感させながら物語は幕を閉じます。
幻惑的な映像美、陰鬱な艶やかさを秘めた女優陣が犇く花街のシーンからは、観ているだけで匂い立つようなダークな梅の香りが漂ってくるようです。
戦前戦後にかけて、謎めいた人生を生きたSAYURIの印象と重なりあうこの香り。
梅の花の花言葉は”高潔”と”忍耐”。
自らの哀しみは心に沈めたまま愛する人を慰め、夜明けに送り出す。
これほど強靭な精神を必要とすることは無いのではないでしょうか。
フローラルブーケのような爽やかな甘さではなく、一筋縄ではいかないしなやかな強さと、底知れない官能と静寂を感じる香り。
こんな匂いを漂わせる女と夜を明かしたら、日常の喧騒に疲れた男はさぞかし至福の眠りにつけるでしょう。
けれど男は、その女のまとう香りに潜ませた、秘めたる哀しみに気づくでしょうか。
その哀しみは、彼女が心の奥底でずっと飼いならしてきた、幼い少女の諦めに似ている気がします。
執筆者:打矢麻理子(SEIReN編集長・Lilith Edit代表)
・Lilith Edit
http://lilith-edit.com/