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君を待つ時間を、冷酒の中に溶かしながら。

Waiting Bar ~グラスの中の風景~ Part3 「冷酒」@麻布永坂 更科本店

付き合いだした頃は、美智との待ち合わせで、「待つ」という事自体楽しいものだった。
しかし、3年も経つと「待つ」事でイライラする気持ちが湧いてくるのは否めない。

お互い仕事もある中、週に1,2回会って、どちらかの部屋に行き、何か映画でも見ながら軽く飲んで過ごす。一晩一緒に過ごして次の日そのまま出勤。こんな事がもう2年以上は続いていた。
30歳を少し超え、仕事も面白くなってきて今のペースを崩したくないというのが本音。
多分、外資系企業に勤める美智も同じ思いだろう。
結婚という言葉はこんな生活の中で埋もれていた。

 

それにしても、いつも大体、俺が待たされる。
たまたま二人とも六本木エリアにオフィスがあるので、付き合い始めた当初はヒルズやミッドタウンにあるホテルのラウンジ(※1)で待ち合わせをしていた。

1時間以上待たされることもざらだった。そんな時、ホテルのラウンジでカクテルを2杯3杯飲んでいると、なんだか待たされている感がどんどん強くなりイライラしてくる。
3杯もジンリッキー(※2)を飲んで、美智が現れた瞬間「ごめん、今日は帰る…」と席を立ってしまった事もあった。

 

それでも、美智の遅刻は治らなかった。
大体、彼女が悪い訳でもないのだ。こちらは終わろうと思えば6時に終わる仕事なので、なんとなく「6時半待ち合わせで」と勝手に決めしまっていた。

「ごめん、遅れるかも。出来るだけ早く行くね。」

という美智の返事に対して、時間変更を気遣うでもなく、6時半きっかりに待ち合わせ場所に行き、悶々と待つ事を続けているだけだった。

 

ある時、美智に

「待ち合わせ場所が悪いのかも。楽しく待てるような場所なら問題ないんじゃない?」

と言われ、ハッと思うところがあった。

「蕎麦屋!」

「蕎麦屋? どこの?」

「老舗の蕎麦屋で何かつまみながら日本酒飲んで、最後に一枚ざるを食べて〆る。それなら2時間は楽しく待てるな。」

「じゃあ、次はそうしてみて。」

 

実はこの少し前、先輩にある老舗の蕎麦屋に連れていかれ、蕎麦屋での飲み方のレクチャーを受けていた私は、粋な蕎麦屋の使い方に憧れていたのだ。

 

「蕎麦屋に入ったら板わさ(※3)焼き味噌(※4)あたりで、日本酒をちびちびやる。腹が減っていたらたまご焼きを頼めばいい。
〆はもちろん、ざる(※5)を一枚。その時お猪口一杯、酒を残しておきなさい。
ざるそばが来たら、その残した日本酒をさっとかけて食べてごらん。旨いよ。」

 

先輩はそれをその店で実践してくれた。

多分、今どきの蕎麦屋は気の利いたつまみがいろいろ置いてあるだろう。
とはいえ、ここはなんとなく老舗にはこだわりたい。

そこで、二人のオフィスからも近い麻布の老舗の蕎麦屋で待ち合わせする事にした。

もちろん今日も6時半に私が一人で店に入る。

 

「二人になります。」

店内のBGMはJazzだ。

 

昔、なんとなくこの店に昼間に入った時は気がつかなかったが、メニューは豊富だ。
酒は日本酒、ワインはもちろん、シャンパーニュまである。

でもここは日本酒だろう。

 

「板わさと焼き味噌。あと、日本酒、冷で」

 

なぜ蕎麦屋でたべる蒲鉾はこんなにも旨いんだろう……、なんてことを思いながら板わさを楽しむ。
焼き味噌も美味い。これも家でやるとこうはいかない。味噌にネギなどの薬味をちょっと混ぜて焼いただけのモノなのだが、ちゃんとしたつまみになっている。

 

「すみません。冷酒もう1つとたまご焼き(※6)もください!」

何故かホテルのラウンジで待つ時のような焦燥感がない。楽しいとさえ思う。

 

45分ほど経って、美智からLINEが入った。

 

「あと、30分で着きます。いつも遅れてごめんね。」

 

あと30分か……。何か一人で楽しむモードになっていたせいか

 

「ゆっくり来てね。慌てることないよ。」

 

と送って、もう一品と酒を頼もうと決めた。

「すみません。お酒お代わりと、天ぬき(※7)出来ますか?」

「はい、出来ますよ。」

 

天ぬきとは天ぷら蕎麦の蕎麦が抜いてあるもの。つまり、どんぶりにかけ蕎麦の汁と天ぷらが入っているもの。

「天ぬき10年」という言葉があるくらい、普通は10年そのそば屋に通って、やっと頼めるものと言われている。今ではどの店でも気軽に出してくれるのだそうだ。
ともかく、つまみはこれで終わり。

 

天ぬきで蕎麦屋の汁と天ぷらを楽しみつつ酒を飲んでいると美智が来た。

結局、8時を過ぎていた。

1時間半、正直楽しかった。今度から待ち合わせはここだな……。

 

「お待たせ」

「お腹空いた? なんか食べたら?」

「美味しそうだね。私、天ざるとビールで。」

「じゃあ。俺は〆にざるを一枚」

 

老舗の蕎麦屋でビールを飲む美智が何故か愛おしく感じる。

 

ざる蕎麦が来た。

もちろん、お猪口一杯の日本酒は残しておいている。


作者注

ヒルズやミッドタウンにあるホテルのラウンジ(※1)

六本木ヒルズのグランドハイアットにはラウンジという感じのところはありませんね。なんとなく1階にあるフィオレンティーナで前菜の盛り合わせとプロセッコを飲んで待つ事になります。
ミッドタウンはリッツカールトン東京。45階のラウンジに一人でいるのはなんとなく切ないものです。

 

・ジンリッキー(※2)

ジンをソーダで割ってライムを絞ったロングカクテル。最近、ニッカのカフェジンで作ったジンリッキーにハマっています。

 

・板わさ(※3)

「板蒲鉾」と「ワサビ」で板わさ。蒲鉾のお刺身ですね。居酒屋に置いてあるところも意外と少ないです。蕎麦屋のつまみの代表選手。

 

・焼き味噌(※4)

昔、江戸っ子は、そばがくる前に一杯やるのが何よりの楽しみだったとか。香ばしく焦げた「焼き味噌」を少しずつなめながら酒を飲む。大人な感じですね。こちらも蕎麦屋のつまみの代表です。

 

・ざる(※5)

「ざる」と「もり」の違い分かりますか?「せいろ」「更科」「二八」などなど蕎麦は深いのです。

 

・たまご焼き(※6)

蕎麦屋と寿司屋のたまご焼きは全く違います。
蕎麦屋はだし巻きたまごをたまご焼きとして出します。寿司屋は甘いたまご焼きを出します。酒のつまみとしては蕎麦屋のたまご焼き。寿司屋のたまご焼きはデザートです。

 

・天ぬき(※7)

最近、ブーム? になってるようで、立ち食い蕎麦屋のチェーン店でもオーダーできるそうです。
日本酒のつまみとしては天盛など頼むより良いかと思います。

 

【About Music】


ここ、麻布永坂 更科本店さんでは店内にJazzが流れていました。
蕎麦と日本酒とJazz、合うんですよね。

今回選んだのはMichel Petrucciani。

もう20年以上前になりますがNYのライブハウスで彼の演奏を聴く機会があって、繊細さと大胆さを感じさせるパフォーマンスは今も目に焼き付いています。

良い日本酒を飲みながら是非聴いてみてください。

https://open.spotify.com/user/masahironakawaki/playlist/1UEwRZMrnJD2gVbtHiLPMc

※こちらの試聴にはSpotifyへの登録が必要になります。

中脇大容

プロデューサー・ライター

中脇大容

中脇 大容 (MASAHIRO NAKAWAKI) 音楽プロデューサーとして数々のヒット曲の制作に携わる。音楽以外にもイベントプランニング、 講演、ラジオDJ、などその活動は幅広く、雑誌のコラム、Web上での連載も多く執筆中。

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